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【留学レポート⑪】

2024年02月09日 高校

今日も、一歩ずつ、成長してるよ


Hello, how’s it going? アメリカワシントン州に留学中の石川岳翔です。

昨年のうち何日間アメリカに滞在したのか数えてみるとなんと156日間でした。
僕はこの長期留学の他にも、あと2つの短期プログラムにも参加していたので、1年のうち約4割をアメリカで過ごしたことになります。こんなに頑張れているのは、応援してくれている家族、友達、先生、そして留学を作ってくれているホストファミリー、アメリカの高校、留学スタッフ、皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。

この長期留学が始まってもう5ヶ月が過ぎ、折り返し地点になってしまいました。8月末に沖縄から飛び立ち、時間の流れの早さにとても驚いています。
ここを旅立つ6月23日まで、思いっきり頑張り、楽しみ、充実した生活を過ごせるように努力し続けます。



前回の投稿から約3カ月。僕の中でたくさんのことを考えるきっかけになった3カ月でした。
一番の大きなことはホストファミリーの変更です。12月からホストファミリーが変更になりました。“All people meet for some reason. Maybe we met because of the lesson of farewell.” 前のホストマザーの言葉です。とても素敵で仲良しな人と出会っても、どうしても好きになれない人と出会っても、全ての人は必ず何か理由があって会う。それはどのような理由にもなりえる。変更までに何度も泣き、苦しみ、たくさん辛い壁にぶつかってきました。
ですが今はそれを乗り越え、新しいホストファミリーと心機一転頑張っています(ハスキー3匹!笑)。学校は変わっていませんが、学校から家が遠くなったので、夢の黄色いスクールバス通学です!新しいホストシスターは学校で日本語の授業を取っていて、ホストファザーも趣味で日本語を勉強しているので、たまに教えたりしています。夕食の時にも日本や沖縄のことについてたくさんおしゃべりもしていて、とても楽しいです。





今、アメリカ史の授業で第二次世界大戦(WWII)の内容をしています。僕は留学前からWWIIの授業を楽しみにしていました。その理由は僕が参加した別の留学プログラムにさかのぼります。そのプログラムでNYのイントレピッド海上航空宇宙博物館を訪問したときです。そこでは太平洋戦争の時に活躍した戦闘機の紹介や、どのようにして日本に勝ったのか、ということを中心的に展示していました。そのことが僕に驚きと納得をもたらしました。日本で、沖縄で、戦争のことを紹介するときに、どのように相手国に勝利したのか、ということを積極的に展示すると思いますか?例えば、糸満の平和記念公園では戦争の悲惨さや残酷さを紹介し、もう二度と戦争を起こさないように、平和を伝承し続けています。この相互の違いに驚きましたが、納得もしたのです。それは、日本、沖縄が伝えているのは負の歴史、一方でアメリカが伝えているのは勝者の歴史なのです。同じ歴史的事実でどちらも間違いではない、なのに伝え方の違いやフォーカスする側面によって見方が大きく変わることをその時に実感したのです。
そのような経験があったからこそ、WWIIの授業を楽しみにしていました。どのような歴史の伝え方をされるのだろう、と興味がとてもあったのです。広島、長崎、硫黄島、東京、そして沖縄。たくさんの悲劇の歴史も習いましたが、それと同時に、どのように日本を攻略したのか、どのような戦略をたてたのか、などの勝者だからこそ伝えることのできる側面の歴史も学びました。
「本当に〇〇はすべきだったのか?」「△△はなぜ歴史的に重要なのか。」単なる事実を学ぶだけでなく、当時の社会情勢からの視点、第三国からの視点、未来にいる僕たちからの視点など様々な視点から探究していく授業スタイルが大好きです。
沖縄戦のことについてプレゼンをする機会をもらうこともでき、詳しく紹介しました。

 

アメリカにいる時間を重ねるにつれて自分のアイデンティティもはっきりとしてきています。
薬科にいるときに自分のアイデンティティを考える時間も公共や倫理の時間などでありましたが、正直自分のなかでしっくりきていませんでした。しかし、僕が今言えることとは、僕は日本人よりも「うちなーんちゅ」であるということです。アメリカにきて沖縄の良さやすばらしさにとても実感しました。綺麗な海と青空。人々の暖かさ。おいしいうちなー料理。様々な歴史や教訓を活かしての現在の姿。日本とアメリカの玄関口として、対立することはあるとしても共存することができていること。自分がこの沖縄に生まれたことをとても誇りに思います。うちなーんちゅとして沖縄の素晴らしいところも、隠れて見えない問題点も、「リアルな沖縄」を積極的に紹介しています。県費留学生としてうちなーんちゅとしてのアイデンティティをもっと確実なものにして、全世界に、沖縄というちっぽけな南の島に収まりきらないほどの素晴らしさを広げていきたいです。下の写真は日本の旗を持ってますがみんなうちなーんちゅです笑




そして、最も怖いことも経験しました。
銃?いいえ。ドラッグ?いいえ。僕が経験した最も怖いこととは、「無知でいること」です。アメリカ史の授業で広島と長崎の原爆についてグループでクラスへ発表する機会がありました。僕のグループメンバーとお互いのスライドを確認しているところ、このような表記を見つけました。「原爆は世界でたくさん使われていて、広島と長崎はその2例である。」「原爆によって形成されたきのこ雲はとても大きくかっこよく、アメリカの偉大さを日本にそして世界に見せつけることができた。」どちらも間違っていて、原爆のプラスの要素にしか触れていない、負の要素にも触れてほしい。原爆の使用については様々な議論があります。
使って正解だった、使うべきではなかった。作るのはやめるべき、続けるべき。どんな意見も尊重すべき意見です。しかしながら、僕は彼の言葉にショックと悲しみを覚えました。彼は決して日本人の僕を「原爆」というものを使って侮辱したり冷やかそうとしたわけではありません。
ただ知らなかった、「無知でいた」だけだったのです。もし侮辱したくて、冷やかしたくてそのような発言をするのなら、誰だって怒りを覚えることでしょう。しかし、僕は怒りの感情は湧きませんでした。
なぜなら、発言した彼が「知らなかった」から、いわゆる無罪なわけです。僕は彼に原爆の事実について詳しく説明し、間違いを訂正しましたが、やはり僕の心には怒りではなく、もやもやがずっと残り続けています。知らない間に人を傷つけるということがどれだけ怖いものなのか。自分が気づかない間に、自分の友達に嫌な思いをさせてしまっていないか。それがその人自身の歴史やその人に深くかかわりのある出来事だったら。もちろん人の心の中は魔法使いしか覗くことはできません。
しかし、歴史的事実や時事ニュースなど、情報源があるもの、事実として存在しているものには、日ごろから注意を払い、より多くより多く頭の中に入れるべきだと強く感じました。このような体験をしたのは、お互いが違う歴史の見方を持っているから、ではありません。
ただ「知らなかった」だけで起こってしまったことです。
これは彼だけではなく僕にも皆さんにも当てはまります。興味のないことにも少しでいいから知ろうとする努力をするだけでも、大きく変わると思います。僕も留学生として、様々な人と関わる、そして沖縄、日本の印象を届ける大使として、多くの知識をつけ、相互の不一致を減らす努力をし、最終的にはお互いの信頼関係をうむような人材になりたいです。

 

クリスマス休暇は、ホストファザーとマザーの故郷であるテキサス州に1週間家族旅行に行き、暖かいクリスマスを楽しみました。ビーチのそばに宿泊したのですが、本当に、本当に沖縄のビーチは綺麗です笑






1月は僕の17歳の誕生日もあり、ホストファミリーと焼き肉に行きました。
アメリカに焼き肉レストランは全然ないのに探してくれて、とてもうれしかったしおいしかったです。




そして誕生日当日に、ここにきて初めての雪も降り、最高の誕生日を過ごしました。 僕の波乱万丈な冒険はまだまだ続きます。ぜひついてきてください笑 今月もありがとうございました。 Take care, bye!